三澤屋文俊堂

きっと何者にもなれない

#褒めとも子2 または私は如何にしてマシーナリーとも子を尊敬するようになったか

 御用の際はこのバーに。夜は大抵居るから。

ふぉるごれです(サイボーグリスペクト

 

今回の記事はマシーナリーとも子を褒めてヨーヨーを貰う企画 #褒めとも子2 への投稿作品です

 

タイトルにもある通り、私はマシーナリーとも子のことを尊敬している。具体的にはもしも誰かになれるのならスタパ齋藤かマシーナリーとも子になりたいぐらいマシーナリーとも子のことを尊敬している。なので今からなぜマシーナリーとも子を尊敬するようになったか述懐しようと思う

 

本文

私がマシーナリーとも子を尊敬する理由としてはマシーナリーとも子の文才についてもだが、最も大きな理由はマシーナリーとも子のアイドルマスター シンデレラガールズに対する姿勢へのリスペクトである

 

少し昔話をするが、私は某模型雑誌の紙面にバーザムの被り物をした人物が載っていた頃からマシーナリーとも子のことを知っていた。初めは某誌の名物編集として、次はツイッターのメカミリ、ロボットアニメ界隈における有名池袋晶葉ちゃんPとして、そしてシンギュラリティのサイボーグとして

 

はっきりいってこの頃は尊敬なんてしていなかった。インターネットおもしろコンテンツとしてフォロー外から流れて来るのを楽しんでいただけだった。そんな俺もマシーナリーとも子の立ち絵が変わる少し前「そろそろ巷で流行るVTuberでも見てみよう」と思って見始め、そしてハマった。そりゃそうだろう。趣味の合うオタクがダラダラと話すのを眺めるコンテンツが俺は大好きなんだ(例、西川魯介作品及び磨伸映一郎作品)

 

そんな俺がマシーナリーとも子を尊敬するようになったきっかけは2019年2月末に起こったVelvetRoseイベントだ。あの日俺は後輩の家で冷凍餃子が調理されるのを待ちながらツイッターを見ていたが、新アイドルがいきなり歌を歌うと聞いても正直なんとも思っていなかった。それは俺がシンデレラガールズのPとしては、担当がアニメで急に喋ったかなり恵まれているPだからだ。なのでツイッターを眺めていてやっと新アイドルがデレステで "曲のつくイベントに出ることの意味" を理解したのだ

 

まるで俺はスティーヴ・ピコに批判された、自分が既得権益に乗っかっていることを自覚していない白人リベラルだった

恵まれている俺にはあの時声なしアイドル担当Pが抱いた感情を想像することしか出来ない。しかしそれはとてつもないものだったのだろう。人によっては8年近く担当しているアイドルがまだ喋っていないのに新入りはいきなり喋り、その上曲まで貰っている

実際に俺の友人にも、あの時から時計を止めてしまったPがいる。俺は彼を6thナゴドに連れていき、彼はそこで声優のパフォーマンスを見て担当を増やしたばかりだったのに

 

そんな状況でもマシーナリーとも子はくじけなかった。新しいアイドルに声をつけようという運営の判断自体は気に食わないが、新しいアイドルやそのアイドルを好きになった人類には関係の無いことであり、ここで声をあげることはそういった人類からの反感、ひいては池袋晶葉ちゃんへのネガティブキャンペーンにしかならないので、ひとまず「見」、あわよくばこれに乗じて池袋晶葉ちゃんを好きな人類を増やせないかと。

youtu.be

 

俺はこの第60話を見て『なんという冷静で的確な判断力なんだ!!』と感動した!

マシーナリーとも子にミル・マスカラスのような、仮面貴族のような気高さを見た!

 

そして俺のマシーナリーとも子への尊敬を決定づけたのが、あの[マシーナリー☆ドール]池袋晶葉ちゃんについてのコラムだ。

nlab.itmedia.co.jp

このコラムの中でマシーナリーとも子はこんなことを言っている。『「世の中がこうなってほしい」って願いは「なんで思い通りにいかねえんだ」って呪いに変わってしまうからな。そういう風に呪いを振りまくようになってしまうと、周りからはあまり愉快なことをやっているようには見えないもんだ。」と

 

そう!これこそが俺の理想とする「風に向かって立つライオン」の生き様である!マシーナリーとも子とは「風に向かって立つライオン」なのだ!!!

youtu.be

 

おわりに

私はマシーナリーとも子のことを尊敬している。幸せになってほしいと心から願っている。そしてあわよくば池袋晶葉ちゃんのライブをその目で見てまた再起動する羽目になることも。だから私は池袋晶葉ちゃんがしゃべるその日までマシーナリーとも子と前進し続ける

しかし池袋晶葉ちゃんが喋った日には私は別の方向を向いているだろう。あの日止まった友の時計をまた動かす為に。和久井留美の声を聞くために

 

さいごに池袋晶葉ちゃんの言葉を借りよう。「ほどけたら、結び直せばいいのだ。リボンも、手も、絆も。何度でも

彼の時計はまだ踏んづけられちゃいない、止まっただけだ。ゼンマイを回せばまた動き出す。そう何度でも

 

2020/03/11 9:36 脱字があったため修正「乗っかて」→「乗っかって」